街を歩いているとき

レリスの夢日記を思い出す事が多くなった。
島尾敏雄の夢も大概だけれど、
レリスの記す夢はどれも他人事ではない感がある。
一番、難儀なのは夢だと思いつつも、
そこから更に夢に落込んでゆく記述。
最後は叫び声をあげて目覚めるのだけれど。
 
夢の中で夢に落込んでゆくのは
なんともいえない。
今のところ、一番、鮮やかに覚えてるのは
目を閉じた時の、あの光の点滅のような光景が
ただただ眩しい銀に変わってゆくもの。
いつも銀色の眩しさに耐え切れず目覚めて終了。
 
夢は寝ている時だけではない。
先日、北摂の一部を歩いていたときも
巨大な巣のような住居郡の異様な静けさは、
夢そのもの、としか思えなかった。
そこから目覚めたら何が残るのだろうか。

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同じモノを所有し合う人間は、他人として現実を共有し、モノとしての人間はそれぞれの夢を別にもち、だが、夢の中で、全くの異物があなたが用いた方程式とは別の仕方で自分を構成してみせるとき、この否定の暴力は逆に親近性を証明し、夢のなかの異物によってあらかじめ見られていたかもしれないという、羞恥と快感が、あなたの体を強く揺さぶる。自分の夢のなかで傷つき、死ぬかもしれないという恐怖が、その時、夢を現実に修復するのだ。そして一瞬のちにはテクノロジーがやってきて、それをまた夢に戻していく。
 
所有する君を所有する、頭の後ろの自動人形の死について/樫村晴香