完全なるものは

非人格的である。われわれの内なる人格とは、われわれの内にある誤謬と罪の部分である。神秘主義者たちのすべての努力は、みずからの魂のなかに「私は」という部分はもはや残っていないという境地に達することを、ただひたすらめざしてきた。
 しかし魂のなかで「われわれは」という言葉を発する部分は、さらに計り知れないほど危険である。
 
人格と聖なるもの/シモーヌ・ヴェイユ