シニギワ「ROADSIDE PICNIC」作品解説

チェレンコフ放射の下で
─松井茂

 『Roadside Picnic』は、「デジタル音響技術による新たな物語表現研究」(挑戦的萌芽研究、2012、2013年度) の一環で制作した映像作品だ。「AMC SOUND PROJECT2012」 (2012年12月18 – 21日) で展示したサウンドインスタレーションが最初の版で、日本電子音楽協会「時代を超える電子音楽」(2013年3月6日) の際、加藤直輝の協力によって映像版が発表された。  

 タイトルは、タルコフスキーの映画『ストーカー』(1979年) が原作とした、ストルガツキー兄弟SF小説『路傍のピクニック』(1972年) のタイトルに基づいている。テキストの制作は、『路傍のピクニック』の翻案という意識もあったが、結果的には、そこから自立したものになっている。従来の脚本と言うよりは、抽象化された最低限の応答 (自問自答?) から構成される。班文林さんによって、モンゴル語訳を作成し、作中では、松井による日本語、班による日本語、モンゴル語の朗読が使用された。内モンゴルにおけるモン ゴル語は、公用語ではなく、少なからず抑圧を受けている。変化を強いられつつある言語だ。日本語とモンゴル語の併置もまた、サウンド・デザインであり、この併置はテキスト以上に、表現として意味内容を持っていると考えてほしい。

 映画『ストーカー』には、『路傍のピクニック』からの映画化にあたって、ストルガツキー 兄弟が書いたシナリオ『願望機』もあるし、原作からシナリオ、シナリオから映像へというワークフローには、様々なメディアへの横断と翻訳という、絶えざるコミュニケーション の連鎖が蠢いている。ストルガツキー兄弟は、いわばこのワークフローの犠牲者として、映画に反抗して『願望機』を発表したようだ。  

 前記の表現研究を通じて意識したことは、デジタル技術が、ワークフローの再配置を 可能とし、新たな合意形成のスキームを発見しつつある点だ。それはつまり、誰もが納得 した形式を見出した作品というよりも、アプリケーションとして更新可能な状況の提示で ある。本作は、アプリケーションではないが、従来のワークフローに対して、コラボレー ションのための再配置が提案された点を研究成果と考えている。


─テクニカル・ノート
長嶌寛幸
 本作への最初のアプローチは、男女の朗読 (男性に関しては日本語。女性に関しては日本語とモンゴル語) を素材に、サウンド・モーフィングの実験を行なうことから始まった。モーフィング・ツールとしては、Symbolic Sound KYMAのエディット・ツール、TAU Editor (2つの波形を可視化して編集を行なうことができる)を用いた。実験の結果、SFX (特殊効果音) 作成やモーフィング時の音節ごとの細かな編集については、これが有効であることが分かった。しかし、モーフィングする音声時間が長いもの (SymbolicSound は、KYMAの処理性能から30秒以内のモーフィングを推奨している) に関しては、映画などの大音量で上映される媒体を想定した場合などの音声処理後のクオリティーを考慮すると、全面的にKYMAを用いた音声処理を台詞に用いることは、現状では困難である。本作では、ピッチ・チェンジ、タイム・コンプレッション、モーフィングをランダムに発生させるパッチを用いて、男女の朗読を変調した。

 次にIrcam Trax v3を導入し、単音でのピッチ、フォルマント変換の実験を行なった。Ircam Trax v3では、2音間のモーフィングは行なえないが、変換された音質クオリティーは、大音量で上映される媒体でも使用できる音質であり、極端な使用方法 (男性から女性へなど) だけではなく、台詞のピッチ、フォルマントを音節ごとに変化させることで、一種の「異化効果」を生むことが確認された。本作では、朗読を細かくセクションに分け、ピッチ、フォルマントを変化させたものと、大きく変化させた「別人の声」、具体的には男性は少年の声に、女性はノーマルの音声よりも年齢が高く聴こえる音声に変調した。

 その次に注目したのは、オーディオ素材のMIDI変換である。朗読とKYMAのシンセサイザー機能のポルタメント機能を利用した即興演奏などをMIDIに変換し、そのデータで別のヴァーチャル音源を発音させる形をとった。本作では、通常のキーボードからの入力は最後のペルシャの笛、Neyのヴァーチャル音源の演奏だけである。

 こうした手法は、「生成音楽」のグループに入るとも考えられる。「生成音楽」とした場合、MIDIに変換し、別のヴァーチャル音源で発音させて、調性、メロディ、リズムなどもアルゴリズムに内包されるので、結果= 発生した音楽に対して修正は加えないだろう。本作では、変換後に調性、メロディ、リズムなどの修正を制作者が加えた。アルゴリズムに基づく音源に対して、サウンド・デザインとして、ランダムな方向性づけを人間が行なうという点が、本作品の特徴であり、「演奏と記録」「作為と無作為」というキーワードを基に今後も検証を続けたい。