年末から

風邪模様の中、
バタバタと過ごして京都に戻ってきたり。
その間、読んでいたのは
J・ドント、母親が読みかけている安岡章太郎
甥姪の相手の合間に捲っていた山形浩生訳のイーノ『一年間』。
それと福田恆存
 
福田御大はやっぱロレンス『アポカリプス論』訳だけでイイナ。
個人的には「えげれす(英国ではなくて)」風味の良識人と再確認。
『解ってたまるか』もゴチソウサマ。
三島より面白いけど、遠い人。
しかし、ご両人ともどうしてあそこまで「人間」に執着、
というか興味を持ち過ぎるんだろう...と不思議な思いが。
私も充分にアナログな20世紀の人間だけれど、それでも...
 
やっぱり、コレの方が生きている人のものって気がする。
(上記お二人の本を読むと「生きてる死人」観しかしない。)
ま、人によっては眉を顰められるんでしょうが、
幼少のみぎりを東大阪/河内(の町工場界隈含む)で過ごした私にとっては
これこそ「生きてる感触」。

https://www.youtube.com/watch?v=wG1J2iKosag

ほぼ半世紀を生きてきて、
改めて「日本人の唄/歌唱」といえば即座に脳内再生されるコレ。
太平洋戦争以降20世紀末までの日本が生みだした特筆すべき「声」。
剥き出しな「肉質」感のある「生きている人の声」。

https://www.youtube.com/watch?v=RiD3vGPjgXw

「水だけは大事にせい。」と出口王仁三郎は言ったらしいけれど
実際の所、私の移動もそういえば...など、
年始早々、不景気な話題になってきたので、
今日はここらで終了。