肌寒い中、

注目すべき人々と出会った日。
 
やや寝坊気味に起きて、
洗濯・乾燥へ。
その間、読みかけていた
椎名亮輔『狂気の西洋音楽史岩波書店を読む。
扱われているのが18-20世紀なので
西洋音楽「史」という題には少し違和感もあるけれど、
副題が「シュレーバー症例から聞こえてくるもの」なので
納得も(というか、こちらが題の方が...
あ、でも出版社的には.......)。
 
それ以外は大変に面白く、
ぐいぐい引きつけられる。
私は音楽学者でも美学/哲学者でもないので、
無責任に濃密な読書時間を堪能。
 
前半にシュレーバー/シューマンを核にした資料的部分があり、
途中、フロイト-ラカン(特に後者のシェーマL、
例の「クッションの綴じ目」)、
そしてドゥルーズガタリ千のプラトー』の
リトルネロを扱った部分等々をツールとして
後半ディドロ『ラモーの甥』そしてマーラー
シェーンベルクへと論は進む。
 
特に配られた手札がツールを介して
思考/論点が結節してゆくスピード感と手際は快感。
(今日は幻惑されてしまったけれど、
再読もアリと思うほど、ヤラレタ。)
 
そして残響のような結論を読む中、
持続/反復、ラ・モンテ・ヤング/スティ-ヴ・ライヒ
召喚される直前に置かれたケージ『サイレンス』水声社からの
「時間は再び流れ出し、我々は死から甦るのである。しかし、この後の世界では、何かが微妙に異なっている。我々の少しだけ地上から浮いているのである。」
を目にした瞬間に
大里俊晴『ガセネタの荒野』洋泉社の一節を思い出し、
涙がこぼれてきた(いい歳こいて...)。
人もいるので慌ててくしゃみの真似をして洟をかむ。
 
その後、事務所に。
パンとバナナと珈琲で昼食。
 
午後、昨日同様、閑古鳥な感じだったので、
ふと「今日はテレビで、よど号事件を扱った番組が」と思い、
調子こいて、裸のラリーズを聴く。
CD発売の知らせをミュージック・マガジンで見た瞬間に
逆上してバンマスに電話して、
即購入手続きしたなあ...と思っていると
いきなり扉が開き、
和服姿の女子2名と少しお腹の大きな女子1名の3人組ご来店。
慌ててVashti Bunyanに替える。
暫く本をご覧になっていたが、
内1人の口からクマリの名が出て吃驚。
その後、少しだけれどお話をする。
 
その後、遠方から来られたにも関わらず、
事務所の狭さと大人数のため、
断念される方々が居られ、申し訳なく思う。
(階下のお店で愉しんでいただけたならばよいのだけれど。)
 
夕方、お世話になっている方がご来店。
ご購入の後、今日も濃密な会話を。
 
その後は急に静けさが。
Harry Partchを聴きながら、
『マイナー音楽のために』を少しずつ読む。
 

    1. +

 
明大駿河台校舎を後にして僕は街を歩く。何から何まで、そっくりそのまま、いつもと同じ街だ。変わりない。だけど、それはいつもの街ではなかった。いつもの街から、一ミリだけすべてがずれてしまっていた。あの時足を踏み入れた、同じで違う街から、こちら側に帰って来るのには、随分長い時間がかかった。楽しいことなんか一つもない旅だった。

ガセネタの荒野/大里俊晴