小雨の朝、

何となく気分すぐれぬまま仕事。
 
午後、高校の先輩が来られ、
色々と興味深い話を伺う。
Collete Magny他についても。
新古今の話題が出る中、
思い出せずじまいだった名を、
帰られてから思い出し、嗚呼。
 
建礼門院右京大夫
 
夜、思い立ってSlapp Happyを聴く。
酔狂と哀愁と知性の混交。夢の後先。
 

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水の泡に消えにし人の名ばかりをさすがにとめてきくも悲しき
  
老いてのち、藤原定家が、新勅撰集のうたをえらびあつめるために、彼女のもとへ、「書きおいたものがありますか」とたずねてくれました。そして、その折、「どちらの名にしようと思われますか」ときかれたのも、うれしい思いやりでした。晴れの勅撰集に入れられるときの、彼女のよび名を、その昔、建礼門院にお仕えしていたときの名か、のちに後鳥羽院にお仕えしてからの名か、どちらを取りましょうかというのです。
「なをただ、隔てはてにし昔のことの、わすれられがたければ『その世のままに』など申すとて、
言の葉のもし世にちらば忍ばしき昔の名こそとめまほしけれ」
そのとき、右京大夫は七十六歳でした。のちになって二十年も仕えた後鳥羽院時代の呼び名より、若かりし日に、ほんの五六年呼ばれた、建礼門院右京大夫という名のほうを彼女は望んだのです。
 
文車日記 / 田辺聖子